卑日?いやいや反日ですよ。

ある経済情報サイトで日韓関係についてのコラムがあり、そこで「卑日」という新しい言葉が使われ、読者の支持を受けています。


ですが、その分析は不十分ですね。


韓国は元々反日であり、今も反日のまま。

中身は全く変わっていません。


卑日というのはその表面だけを見ているにすぎません。


そのコラムの筆者は以下の状況から卑日という言葉を思いついたようです。


・以前の状況
日本を非難し、謝罪と賠償を勝ち取る。


・現在の状況
日本を非難する。

非難する事自体が目的で謝罪も賠償も求めない。


これに対して筆者は「韓国か自信を付けた」として、日本を卑下していると考えたようです。


ですが、これは正確には以下のような事象です。


・以前の状況
適当に日本全体を漠然と非難していれば、ご注進メディアが騒ぎ、日本政府が謝罪と賠償を言い出した。


・現在の状況
適当に日本全体を漠然と非難しても、証拠を求められて失敗する。


証拠の捏造が出来る様な特定の細かい事柄で日本を非難するが、謝罪や賠償が得られても、元か細分化された事象のため「俺の財布」には入らない。


それどころか、「賠償を受け取る奴が居る」のは気に食わない。


(俺はもらってないのにお前だけもらうとか許せん!)
なんで(同じ民族とはいえ)赤の他人のために我々が捏造してまで謝罪・賠償運動をしないといけないのか!
俺は日本人が困っている顔を見られれば十分だ。


そのため、最近は「実利」を求めない「愉快犯」しか居ない。


昔はざっくりとした日本批判をすると、間接的に自分が払う税金の一部を日本が肩代わりしてくれた。


賠償の「恩恵」は全韓国民に行き渡ったのです。


しかし今は仮に賠償を勝ち取っても、ピンポイントに「対象者」に支払われるだけ。


結果カネにならない事をする気にはならないから、カネを請求する所まで「運動」を進めず、日本が困るさまを見ただけで「中途終了」するようになった。


これが実態。


「自信」を得たのではなく、「金づる」にならないから「途中までしかやらなくなった」だけの話。


つまり「恐喝」が「いじめ」に変わっただけ。

本質は一緒です。


変わったのは日本が論理的対応をするようになったという所です。


再び民主党のような政権が出来て「証拠」を求めずに謝罪をするようになれば、「実利主義」に戻るのは確実です。


「いじめ」にも毅然とした対応を続けていれば、やがてそれも無くなる事でしょう。


反日活動で機嫌を損ねる事態が続けば、活動を続ける意欲も低下するのです。


(その前に切れて戦争を吹っかけてくるかもしれませんが)