不動産仲介の歴史
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江戸時代における不動産市場の特徴
江戸時代において、不動産の売買は一般的には禁止されていました。
ただし、都市部の一部では異なる状況でした。
江戸を例に取ると、当時の都市部の不動産市場を見てみましょう。
江戸時代の都市部の不動産市場
江戸では、武家や寺社が街全体の約8割の土地を所有しており、一般の町人が所有する土地はその2割に過ぎませんでした。
武家の土地では、幕府から与えられた土地を「相対替」と呼ばれる方法で売買していました。
一方、町人の土地では、「沽券」と呼ばれる土地所有の証明書を発行し、それを交換して取引を行っていました。
ここで言う町人とは一般庶民ではなく、商人などの裕福な人々を指しています。
沽券が発行された土地は、異なる身分の人であれば自由に売買することができました。
取引が行われる前には、地方自治体である「五人組」という組織とその町の名主が印鑑を押し、代金を支払った後で売買が成立しました。
名主は売買の記録を台帳に記入し、不正な取引を防ぐために内容を町内に公示していました。
また、江戸時代の売買取引には「口入業者」と呼ばれる仲介業者が存在したと言われています。
彼らは売りに出されている土地情報を広め、その対価として手数料を受け取っていました。
これが不動産仲介業が料金を取る始まりと言えるでしょう。
参考ページ:名古屋市不動産売却の主体は江戸時代からずっと売主様になります
名古屋市における不動産売買の主体と行動
名古屋の不動産売買において、主体とはいったい誰なのでしょうか?考えられるのは、不動産を購入する人です。
不動産を持っていない人は、何かしら購入をすることで不動産を手に入れることが一般的です。
例外としては、贈与や相続などがありますが、大抵の場合は購入が行われます。
不動産の売買と言えば、まずは不動産を購入することをイメージする方が多いのではないでしょうか。
不動産取引においては、購入が先か売却が先かについて考えることが重要です
不動産取引では、一般的には売主が主体となりますが、実際の取引の流れでは、購入が先に行われることが多いです。
これは、購入したいという意思を持った買主が現れた場合に、売主が買主の要望を受け入れて契約を進めることが多いからです。
例え話を使って説明すると、卵が先か鶏が先かという問題があります。
卵が先にあることなくして鶏は産まれませんが、逆に言えば、鶏がいなければ卵も産まれないわけです。
このように、どちらが先かは一概には言えません。
不動産取引においても同様で、売主がいなければ買主は物件を購入することができませんが、逆に言えば、買主が現れなければ売主は物件を売却することができません。
つまり、売主と買主の存在が不動産取引においては互いに依存しているのです。
ですので、不動産取引では、どちらが主体なのかというよりも、購入が主体か売却が主体かというよりも、売主と買主の双方が存在することが不可欠であり、両者の意思の一致が取引の成立につながると言えます。